狭いトンネルを二つ三つ曲がると、急に広々と開けた空間に繋がった。

ライトの光量を最大にして、辺りの様子を素早く窺う。



「うわ・・・」



そこは、さながら大ホールといった感だった。

天井からは、びっしりと無数のつらら状の突起物が分厚いカーテンのようにぶら下がっていて、

地表からもにょきにょきと奇妙なオブジェがたくさん飛び出ている。

足元にはどうやら水が溜まっているらしく、歩くたびにピチャピチャと音がした。



とにかく血の臭いがムッとする。どこからか、微かに呻き声も聞こえてくる。

白っぽい筈の岩肌は完全に血と泥でどす黒く塗り換わっていて、凄惨としか言いようのない異様な光景が、

次々と光の中に浮かび上がってきた。

よく見ると、でこぼことした岩の先に、何やらいろいろ引っ掛かっているように見える。

分厚い泥を被って周りの岩と同化しているそれらは、かつて人間と呼ばれていた物体だった。



「ああっ・・・!」



慌てて周りを見回した。よくよく目を凝らしてみると、あちらこちらにばたばたと人が倒れていた。

誰も彼も皆一様に泥を被り、敵か味方か判別できない。



「くそっ!」



呻き声を頼りに、アオバさんが大急ぎで辺りを調べ始めた。

手早く顔や額当ての泥を拭い去ってライトの光を浴びせては、一人一人身元を確認していく。

慌てて私もアオバさんにならった。

どこに誰が倒れているのか全く分からないまま、手当たり次第に額当ての泥を落として回った。



いない。どこにもいない・・・。

カカシ先生とライドウさんが、どうしても見付からない。

とにかく明かりが欲しかった。

こんな小さな光源でこの状況を把握するなんて、あまりにも無謀過ぎる。

イライラと焦りが募り、動作が段々手荒になっていった。



「おいっ!しっかりしろ!」



アオバさんの鋭い声がホールに反響する。

慌てて振り向くと、大きな刀傷を負ったライドウさんが、ぐったりとアオバさんに抱きかかえられていた。

急いで駆け寄り、傷口に手をかざして止血を行う。

そして、呼吸を確認して軽く活を入れると、まもなくライドウさんは意識を取り戻した。

良かった。残るはあと一人・・・。

気は急くばかりだが、まずはライドウさんの治療に専念しなければならない。

更に奥に向かったアオバさんに全てを託して、私はライドウさんの傷口を一つ一つ見て回った。



――とその時、ホールの奥の方で、忍犬達がけたたましく吠え始めた。



「いたぞっ!こっちだ!」 



パックンの声だ・・・。

思わず弾かれるように立ち上がってしまった。

言問いたげな視線をライドウさんに送ると、コクンと小さく頷いてくれる。

「ありがとうございます・・・!」 ぺこりと頭を下げ、声のする方へ一目散に駆け寄った。



「カカシ先生ーっ!」



固い表情のアオバさんが、先生の手首や首筋に指を添えたまま、ピクリとも動かない。

その様子に全身の血液が一気に逆流した。

紙のような真っ白な顔をして先生は倒れていた。

目立った外傷はない。だが、深く昏睡している。

いくら呼びかけても何の反応もなく、弱々しい脈が辛うじて感じられるだけだった。



「え・・・?」



一体何が起こったというのだろう・・・。

今にも止まってしまいそうな、この途切れ途切れの脈は、一体何を意味しているんだろう・・・。



ふと、あの時の夢がまざまざと蘇った。

私の目の前で真っ赤な血に染まりどんどん衰弱していったカカシ先生。

私はどうする事も出来なくて、そしてとうとう先生は・・・。





キーンと激しい耳鳴りが起こり、頭が割れそうなくらいガンガンと痛み出した。

心臓がドクンドクンうるさ過ぎる。いくら息を吸っても酸素が肺に入ってこない。

あまりの息苦しさに目の前が真っ暗になり、涙まで滲み出してきた。

もう頭の中がパニックだった。

手足が震えて止まらない。どうしていいのか、さっぱり分からない―――



「いや・・・いやよ・・・目開けてよ、カカシ先生・・・」



夢の中のカカシ先生と現実のカカシ先生が、またしても頭の中で激しく入り乱れる。

これは・・・、これは夢なのか・・・。今、私は夢を見ているのだろうか・・・。

赤い。赤い。両手が赤い。

どこもかしこも真っ赤で血腥い。

醒めない悪夢。逃れられない恐怖。この後、私は先生がどうなるかを知っている・・・。

先生の血が止まらない。止まらない。そして私は・・・そして私は、カカシ先生をこの手で・・・私のこの手で・・・。



「いや・・・いやぁ!・・・どうしよう止まらない・・・血が・・・血が止まらない!」

「血?いや、出血はしてないぞ。一体どうした?」

「・・・どうして・・・どうしてこんなに真っ赤なの?・・・どうしよう・・・すぐに止めなくちゃ・・・ああでもだめ・・・できない・・・できないよぉぉ・・・」

「おいっ!何言ってんだよ?しっかりしろっ!」

「起きて・・・ねぇ先生早く起きてよ・・・ふざけないで!どうせ私を驚かそうとしてるんでしょ!?」

「こらっ、乱暴に揺するんじゃない!」

「なんでこんな・・・こんな真っ赤になってるの・・・?ねぇ、どうしてこんな血だらけになってるの・・・?」

「落ち着け、サクラ!これはカカシさんの血じゃない。クナイで切りつけた時にかかった相手の血だ!」

「死ぬなって・・・どんな事してでも絶対に死ぬなって私に言ったじゃない・・・なのに・・・なのにどうしてよ、カカシ先生!」

「くそっ!どうしちまったんだよ、全く・・・!」

「いやだぁぁ!みんな私を置いてっちゃう・・・!私を一人にして・・・みんな、みんな勝手に・・・・・・・・・いやぁぁぁーーーっ!!」

「おいっ!お前は医忍なんだろ!?お前が怪我人を前に錯乱してどうするんだよっ!」





バシンッと鋭い衝撃が頬に走る。

――漸くそれで、正気に返った。





「・・・あ・・・ぁぁ・・・」

「・・・すまない」

「いえ・・・・・・私の方こそ・・・どうもすみませんでした・・・」





そうだ・・・。私がこんな風で、どうするんだ・・・。

私の命は、隊長のカカシ先生が預かっていて。

そして、その先生の命を預かっているのは、他でもない医忍のこの私なのに。



それなのに・・・。



泣いて取り乱している場合じゃない。

今すぐ治療を行わないと――



グッと奥歯を噛み締め、全身に力を込める。

乱暴に涙を拭って何とか気を奮い立たせ、何度も深呼吸を繰り返して、身体の震えを必死に止めた。

よし・・・もう大丈夫・・・。

両手を先生の上にかざし、慎重にチャクラを練り上げる。

ブゥゥーーン・・・

生命エネルギーに変換したチャクラを満遍なく先生の身体に押し当て、意識を覚醒させようと躍起になった。

しかし――




え・・・?

何なの、これ・・・?




どうしてもチャクラが弾き返される。

集中力が足りないのかと、もう一度チャクラを練り直してやってみても結果は同じ。

強固な結界のようなものが先生の体内に存在していて、そのせいで私の術は全くと言っていいほど歯が立たなかった。



「そんな・・・」

「どうした?」



いつの間にかライドウさんがすぐ傍に立っていた。

強張った私の顔と、人形のように全く動かない先生の姿に危惧の念を抱いたのか、まるで睨みつけるように私を見下ろしている。

その視線が、私には無言の叱責に感じられた。

私の力不足のせいでとんでもない事態に陥るのではないかと、あれほど恐れていた事が今まさに起こっている。

スーッ・・・と全身の血の気が引いて、また頭の中がガンガンとざわめき出した。




「おい!一体どうしたってんだ!」

「・・・大きな外傷は見当たらないのですが・・・、中枢神経が麻痺していて、様々な身体機能が著しく低下しています」

「何・・・?」

「非常に・・・、危険な状態・・・です・・・」

「くそっ!何とかなりそうか?」

「・・・単純な神経毒なら、私にも解毒できます。・・・でも、どうやらそうじゃなくて・・・。術が二重三重に作用していて、私の力では・・・とても・・・」

「そうか」

「・・・すみま・・・せん・・・」

「いや、これより急いで里に戻る。すぐに応援を呼ぶから、それまでしっかりと応急処置を頼む」

「はい・・・」




里に連絡を取るため、アオバさんと数匹の忍犬が洞窟の外に向かう。

その間、私は先生の経絡系に直接チャクラを流し込み、やっとの事で心臓の筋肉を少しだけ活性化させた。

そのままチャクラに圧力をかけて一定のリズムを刻み続ける。

肺にも強制的にチャクラを巡らせて、何とか呼吸を促した。

十の治療を行い、成果として現れるのは精々一つか二つ。

これが私の限界だった。



「くぅ・・・っう・・・うぅ・・・」



信じたくない。信じられない。

カカシ先生がこんな事になる筈がない。

どうか悪い夢であって欲しい。

全て私の空想なんだと、誰かに笑い飛ばしてもらいたい――



涙がポタポタと零れ落ちて、先生のベストに次々と黒い斑紋を染め上げては、歪に滲んで消えていく。

チャクラを流す手がぶるぶると震えて、時として制御困難に陥り、その度にライドウさんに叱咤激励された。



「おい、頑張れ!お前がそんなんじゃ助かる者も助かんねぇぞっ!」

「は、はい!」



神様・・・。

どうか今だけでも、私に力をお与えください。

お願いします。どうか、どうか、神様・・・。






「先生・・・、頑張って・・・お願い・・・」



あらん限りの力を込めて、ひたすらチャクラを流し続ける。

こんな半人前の私に、全幅の信頼を寄せてくれたカカシ先生。

その想いは絶対に裏切りたくない。

応援の部隊が到着するまでの数時間、私は死に物狂いでチャクラをコントロールし続けた。